ウルトラソニックモノクロスケール。

真面目な記事とふざけた記事を交互に書きます。躁鬱気味だとも言えます。

何事も波がある。

何事も波があります。それは天候だったり気分だったり、調子だったり関係だったり、株価だったり成績だったり、性格や価値でさえ波がある。

 

まぁそれは、物理の世界では物体だって波だって見なしたりするんだから、当たり前といえば当たり前かもしれない。でも一方で、当たり前じゃないかもしれない。そんな当たり前さにだって、波がある。要するに波であるというのは、幅があって、動いてるということだ。

 

波なんだから山と谷が交代でやってくる。だから、いまが山なんだったら、そろそろ谷がくるだろうなって、予想がつく。でも、今日の谷はこのくらいだろって思ってたところに、予想より大きな谷が来たりすることもある。難しいけど、波があること自体に、波があるんだろう。これが厄介だ。

 

みんな波だと思って、あたりを見渡してみる。天気は遅れてやってきた梅雨のせいで谷だ。あの人は機嫌が良さそう、山だ。友人は恋人ができたと話していた。上り坂か、下り坂かは、進んで見ないと分からない。

 

見渡してみて、改めて気付いたのは、みんなどこかに向かっているということだった。波には向きがあるんだから、そりゃそうだ。ちょっとずつ前に進む波、逆に引いていく波、ぶつかって飛沫を上げる波、お互いがぶつかって渦になる波。それぞれがそれぞれの方向に、行ったり来たりをしている。

 

大きさもまちまちだ。チャプチャプしてるのもあれば、ザバーンと景気の良いのもある。津波みたいなのもあれはを、コップに注がれた水みたいにジッとしているのもたまにある。

 

そういう波を見てる自分も波だった。ていうことは、さっきの大きい波は、本当はもっと大きいのかもしれない、あるいは実は小さいのかもしれないという、その認識にも波があったということだ。そうなると、もうこんがらがってくる。

 

あれも波、これも波。こんなふうになんでも波にしたがる気分にすら、波がある。あれは波っぽくないぞ、これは波じゃない、と言い切れる、そういう波がある。

 

この、波じゃないと言い切りたいものこそ、とりあえずは大切なんじゃないかと思う。だって、波である自分からみて波じゃないということは、同じ向きで同じ幅の波だということだから。

 

そんな悟りみたいなポエムみたいな、なんかそういう、なにこれ?エッセイ?まぁそういう波が来たので、乗るしかないなっていう感じでした。

 

うまくまとまらない。それはでもまぁ、まとまるかまとまらないかと波があるし。今回はたぶん谷で、チャプチャプ程度、だといいけれど。